僕は瞬間で紅葉していく

もうすっかり寒くて、びゃっと吹く風に服を押さえながら、袋握りしめて噴き出した汗を拭く。笑う門には福来たるだなんて復唱してみるけれど、もっと冷たい風が吹いたら降伏しちゃうんかな。幸福の譜面を駆け上って、思い出すことはやっぱり秋。
紅葉は昔、「剛情張ると蹴飛ばすぞ」と言って本当に蹴飛ばした。
秋の嵐山の紅葉は、見事だから不思議だし、不思議だから見事だ。息苦しいほどの汚い落葉に包まれて、私は道に迷ったんだった。崖下にある墓の群れを夢中になって写真に収め、こちら側に帰ってきた後で油で描いた。何度も同じ婆さんが下の方からやってきては、ちらりと私を見遣って左に切れていく。婆さんはもみじの葉っぱで靴の中をいっぱいにしていた。
月が綺麗ですね、と言うのでは足りない。言い換えたり、遠回しに言ったり、目で合図するだけじゃダメなんだと思う。はっきり「愛しています」と伝えた時こそ、僕は瞬間で紅葉していくんだ。

記憶の果てへの旅

ヒトは旅をしている。セイシェル、チリ、カザフスタンモーリシャスリトアニア、日本に、忙しく移動してその地を訪れ、素晴らしいものを見て、不思議な体験をして、記憶の澱として残るような旅の残滓を両手目一杯に。そうしてまた会社に行き、学校に通い、疲れて、打ちひしがれて、涙を流さずに泣きながら眠る。みんなかわいそうな子なんだ。
旅は可能なんだろうか? 僕は不可能だと思う。旅が可能なのは、旅をしている時だけだ。けれど、旅をしている時はみんなかわいそうな盲だ。とろとろに熔けて海に落ちていく夕日も、夢景色のようなスコールの飛沫も、エキゾチックな'Vertigo'のネオンサイン、人間と地球が作り出した素晴らしい神殿から覗く空、誰も知らない誰かの墓、いつだって誰もが見過ごして置き忘れてきたものたち……。
ただ一つだけ、人間にも可能な旅があるのかもしれない。それは自分自身への旅、いや、それはもはや「冒険」と呼べるだろう。目も開かず、耳も聞こえず、香も匂わず、何も触れられない冒険だけれど、僕たちの中にはきっと不思議な宝物が隠されている。人体は宇宙だとよく言うし、もしそうなら数ヶ月前からこちら、僕は宇宙旅行をし続けていることになる。けれど、僕が目指すものは宇宙の果て、僕自身の中にある素敵なあなたなんだ。わくわくするような冒険がしたいな。いつか歩いた菜の花畑への旅、記憶の果ての旅、僕はしばらく旅に出ます。みんな一緒に行こうぜ!

すべては最初の間違いからはじまる

……我々が頑なに、そしてそれに劣らず誠実に……真実だと信じていることの大半は……当初の勘違いに端を発している。

杖を撞いた三人の青年……中年、彼らの目は鋭く私を見据える。私は遠くレストランの円盤を見ていない、滝のあふれる水の遠さを見ていない、遠い遠い白い景色、点々と跡を残す薄茶色い濁った影を見ていない。私の目は開いていない。ふっくらとしたまぶたが私の目をふさいでいる。母の優しさが私の目を煙に巻く。
しかし私は生まれた。生まれたてのベイビーだ。赤ちゃんは泣くよ。オギャッギャッギャッギャッギャッギャッギャッギャーーーーーーッ!! 赤ちゃんは最初の空気を吸った。
「ねえ知ってる? 赤ちゃんは最初に吸った空気を肺の奥の方にずっと取っておくの」
ゴミが散乱する寝臭い部屋で生まれ落ちた赤ちゃんの肺には、彼の最初の一泣き(間違い)と同時に、埃まみれの空気が吸入された。しかし、その空気は彼にとっては甘いガムの香りに感じられた。彼はこれから先、ガムを噛んで顎を強くして殴られても泣かない叱られても泣かない唾吐きかけられても泣かない強い子になるんだろう。

みんな応援してあげてね。